第5章 解離とわずかな希望

 

どんどん解離していく

 

 いつからだったのか、もう覚えていない。

 前妻とは、ずっと仲良く暮らしていたはずだった。相変わらず子どもはできなかったけれども、よく一緒に出掛けたし、たくさん話もした。スコティッシュホールドの三毛猫も飼いはじめ、幸せだった。でも、気づかないうちに、二人の関係がほんの少しずつ離れはじめていた。

 

 彼女はとても明るくて元気な人だった。職場でもかわいがってもらっていたのだけれども、同時に、やっかみとしか思えない不条理な扱いを受けることも多くあった。たとえば、上司が「みんなから意見を聴きたい」と会議で言ったので、彼女が提案としての意見を述べたら、会議後、先輩社員から呼び出され 「あなたは正社員じゃないのだから、発言はしてはいけない」と言われた。なので、家では、彼女が辛かった話などをよく聴いていた。涙が止まらい程に辛かった時は、夜通し話を聴き、それでも元気が戻らないときは、私が会社を休み、一緒にその日を過ごすこともあった。私の状態がよい時だったら、夜通し話を聴くことは何の苦にもならなかった。いや、状態が悪い時でも、話を聴くことは、私にとっては苦ではなかった。

 

 一方で、当時、私が望んでいたことは、私が辛い状況”そのとき”に、話を聴いてもらえることだった。

 彼女はよく「私も話を聴くよ」と言ってくれていた。本当にそう思っていたと、今でも思う。でも、私が”今、話を聴いて欲しい”と思っているとき、たいていは彼女も辛いことがあったときで、とても話を聴ける状態にないときだった。話を聴いてくれると言ってくれているけれども、話を聴いてもらえるタイミングがない。彼女が話を聴くことができる状態のときには、もう私がその話をしたいときではなかった。そんなことが何度も何度も繰り返し起きていた。

 

 当時、私の心の内にあった考えは、「彼女(前妻)は心が弱い人だ。だから、俺が守らなければならない(たとえ、俺の話を聴いてもらえないとしても)」だった。目の前の人を「弱い人」だと考えていた。本当の意味で、彼女自身の力を信じることができていなかった。私自身の状態を省みることもなかった。仕事だとか男だからとか、いろいろな理由を付けて、自分の状態をごまかしていた。正直になれなかった。

 

 とても仲良いはずなのに、一緒にいることが辛くなってきていた。

  

 

311

 

 2011年3月11日。私は有明の国際展示場にいた。前妻は体調が優れなかったので会社を休み、自宅にいた。

 そして、地震が起きた。国際展示場が大きく長時間揺れ、会場内に悲鳴が鳴り響いた。「これは普通の地震じゃない、津波もあるかも。(湾岸である)この場所は危ない」と感じ、すぐにバスに乗り移動した。15分ほど走り、バスは新富町付近で動かなくなり、そのまま運行中止となった。

 国際展示場にいたときから、何度も前妻に連絡を取ろうと電話したが、通話すらできない状態だった。バスを降りて自宅まで歩きつつ、公衆電話を見つけては彼女に電話をしようとした。

 歩き始めて1時間くらい経ったあとだろうか。やっと彼女と連絡が取れた。すごく揺れたけれど、物が落ちたり家が壊れたりすることもなかったし、彼女も飼っていた猫も無事だとわかった。「何時間かかるかわからないけど、歩いて戻るね」と伝え、家までの約25kmを歩いた。夜10時前に家にたどり着き、二人でホッとしたことを覚えている。

 

 翌日から、より大きく311の影響を感じることとなる。

 テレビで繰り返される津波の映像。原発事故の情報。携帯電話やテレビ・ラジオから流れる自身警報の音。そして、何度も訪れる大きな余震。また、当時住んでいた千葉県松戸市付近は放射線量が高く危険である、というホットスポットの情報が流れた。これらは、彼女にも私にも不安を蓄積させていた。まだ、私自身がしっかりと自分を保っている状態だったら、大丈夫だったかもしれない。震えながら怖い怖いと言い続ける彼女をさえているだけのチカラは、その頃の私にはほとんど残っていなかった。

 

 

聴くチカラ

 

 それでも、なんとかしようとしていた。仕事のことも、前妻とのことも。

 保険の仕事で出会う人たちにとって、より役立てる方法なないだろうか?彼女の不安を和らげる関わり方の良い方法はないのだろうか?そんなことを考えているうちに、ふと目に入ったのが「コーチング」だった。インターネットで、コーチングを手軽に学べるところを探した。コーチング実践体験会を行っているところがいくつか見つかったので、毎月のように通った。実際に、手順に沿ってやってみた。こういう聴き方があるんだ。こんな風に問いかけてみればいいんだ。いろいろ気づくことがあった。

 

 また、プロとしてコーチングを行っている人たちにもたくさん会いに行った。あるプロコーチに会いに行くと、どうしてコーチをやっているのか、コーチングを受けるメリットは何かなど、1~2時間、話を聴かせてもらった。そして、そのコーチから別のコーチを紹介してもらう、ということを繰り返した。3カ月くらいで30人近いのプロコーチとマンツーマンで会い、話を聴き回った。

 たくさんのコーチと話をしてわかったこと。それは、人と会うとき、話を聴くときには、自分自身の心の持ちよう、あり方、が大事だということ。じゃあ、どういう心の持ちよう、あり方であればよいのか?当時はまだ、そこが表面的な理解にしかなっていなかったけれど。

 

 実際に聴き方が変わっていくことで、(第4章で書いたように)仕事で会う人たちに喜ばれたり感謝されることが増えた。恩師が突然亡くなり落ち込んでいた友人に会い、ただその恩師との思い出や悲しみを3時間くらい聴いているだけで、翌日から元気な姿を取り戻した姿なども目の当たりにした。「聴くってすごい。」「俺にも、誰かの役立てることがあるんだ。」ほんのわずかだけれど、自分自身に対する希望が生まれた。

 

 そのわずかな希望は、その後、私が進む道を決めるものになった。一方で、専門的なトレーニングを受けてことない段階で生じていたさまざまな誤解・スキル不足・心の持ち方では、前妻との関係性を取り戻すことはできなかった。